東南アジアでおすすめのビジネス

WebPort Global(WPG)はこの2ヶ月間、東南アジア地域に関して発信してきました。それらに目を通していただいたことで、この地域でビジネスを始めることをお考えの人もいるかもしれません。WPGはこの地域で企業が注力すべき5つの産業に注目しました。

1. メディカルツーリズム

もし旅の最中にもっと可愛くなれたらいいと思いませんか?東南アジアは韓国や日本に次ぐメディカルツーリズムが盛んな地域です。タイでは、メディカルツーリズムは年間1兆ドル規模の産業で、中東から心臓病や肥満の治療に来たり、アメリカ、ヨーロッパからは美容整形のために来る人もいます。フィリピンもこれらの分野が有名な国です。
とても大きなビジネスであり、医療や医療器具の需要も高まっているため、成長も見込めます。また、病院のデザインや外観を設計するような会社にもビジネスチャンスがあると言えるでしょう。

2. 観光業

観光業は東南アジアでは注目の産業です。熱帯気候、豊富な文化、素晴らしい食事、リーズブルな値段が数え切れない旅行者を夢中にさせています。例えば、ラオスは2008年にニューヨークタイムズで1番行きたい場所にランクインし、カンボジアのアンコールワットは最近の旅行者のバケットリストに入っています。木や熱帯植物など緑溢れるヤンゴンも最近では注目されています。
これらの地域では多くのホテルが建設されていますが、まだ需要には見合ってないように感じます。なぜなら、予約が取りづらく、ハイシーズンは料金がとても高いからです。したがって、観光インフラとリゾートは、カンボジア、ラオス、ミャンマーのような国々でとてもチャンスがあると言えます。電力の需要も高まっています。今すぐにでもこの産業に足を踏み入れることをおすすめします。

3. 石油とガス

石油とガスは必須のセクターで、経済を発展させ続けるには欠かせません。例えば、タイ国内のエネルギー消費は石油と天然ガスがベースとなっています。フィリピンの石油生産は2012年から2019年にかけて役3分の2上昇すると見込まれています。要するに、石油やガス関連の器具、またそれに関わるインフラは引き続き需要が高いのです。
さらに、多くの国々が新しいエネルギーに注目しており、クリーン技術、それに加えて、石油とガスとそれに関連するサービスも市場では重要になってきます。二酸化炭素貯留、ガソホールやバイオディーゼルも注目のセクターになっています。

4. 農業

農業は歴史的に、貿易市場で最も活発なセクターの1つとなってきました。特に東南アジアでは、多くの国々が農業に関わってきました。人気があるものは、コーヒー、粗糖、小麦、ゴム、魚、肉や海産加工品などです。
ASEANの貿易協定や特恵関税制度(GSP)を使うことで、東南アジアの国々の間やその他の先進国との間の農産物の貿易プロセスは将来、より簡単かつコストパフォーマンスが良くなると見られています。アメリカをベースにした企業で市場に興味がある場合は、WPGのパートナーであるDatamyneが提供している以下のリソースをチェックしてみてください。

5. 交通インフラ

インフラが乏しいのは東南アジアの国にとって痛手となっています。しかし、もしあなたがこの分野のビジネスに従事しているなら、ビジネスチャンスがあるということを意味します。例えば、インドネシアは交通手段が乏しく、需要はとても高まっています。タイの鉄道では新たな高架を作る計画があります。ミャンマーの鉄道は外国人をターゲットとした贅沢な列車を導入する計画があるようです。
鉄道システムは大企業の支援が必要ですが、信号機や貨車、その他ハードウェアの面での供給を手助けすることは可能だと思います。
多くのビジネスチャンスがありますが、まずはどの国においても面と向かって信頼関係を築くことを優先させましょう。

東南アジアのビザのガイド

大きな旅行をする際に、どの国にビザが必要で、どの国は必要ないのか、いくらかかるのか、どこで申請するのか、いつ申請するのかなど数え切れないほどの疑問が出てくることはストレスになるでしょう。そこで私はこのブログでできるだけこれらの質問に答えようと思います。ただし、ビザの条件はあなたの国籍によっても異なり、常に変化しているので、旅行に行く前に大使館などに確認することをお勧めします。
私の友人はベトナムから国外追放されてしまいました。理由は彼女がビザを持っていなかったからです。彼女はタイへ送られましたが、タイのビザも持っていなかったので、再び国外追放されるところでした。全くもって悪夢としか言いようがありません。
ありがたいことに、一緒に旅行した人からのアドバイスでオンライン上でビザを申請することができたため、24時間以内にベトナムに戻ることができました。これは彼女にとって教訓になり、私にとっても教訓となりました。常に自身で調べなければならないのです!

インドネシア

到着時の旅行者ビザやトランジットビザは52の国と地域の人々が可能となっています。旅行者ビザは30日を上限としていて、35米ドルかかります。(これは毎年値上がりしているようです。)また、30日間のビザなし滞在はブルネイ・ダルサラーム国、チリ、香港、マカオ、マレーシア、モロッコ、ペルー、フィリピン、シンガポール、タイ、ベトナムの11の国と地域の人々が可能です。
オーバーステイは60日以内であれば1日につき20米ドルの罰金となります。それ以上滞在すると禁固刑になるかもしれません。このペナルティーはすぐに加算されて行くので、まず安いエアアジアのフライトで出国してから、別の月に再入国することをおすすめします。

シンガポール

多くの外国人(北アメリカ、南アメリカ、多くの南アフリカ、ヨーロッパ、オーストラリア)はシンガポールに30日間(90日間の場合もあり)滞在するためのビザは必要ありません。(シンガポールを旅行するにはたくさんのお金を持っていた方がいいです。)
旅の証明をしなければならないので、旅行中に使う十分なお金があるかを残高証明書で証明し、残存期間が6ヶ月以上のパスポートを提示しましょう。

マレーシア

シンガポールと似ています。多くの外国人(ほぼ全てのヨーロッパの国々、北アメリカ、南
アフリカ、オーストラリアなど)はビザを必要としません。マレーシアには90日間滞在することができますが、これは国籍によって異なります。

タイ

東南アジアで最も人気のある観光地の1つとして、ビザが複雑ではないことは嬉しいことでしょう。多くの西洋の国出身者はビザなしでタイに30日間滞在することができます。
もし30日以上滞在したい場合は、入国する前にタイ大使館で60日ビザを申請しましょう。すでにタイにいて、延長が必要な場合は、最寄りの移民局に行き、1,900バーツを支払えば、短時間で30日間の延長手続きができます。

ベトナム

あなたが近隣の国々やロシア出身でなければ、ビザが必要になります。ベトナムはビザを取得するのに苦労する国です。まず覚えておかなければならないことは、ベトナムには旅行代理店からのインビテーションレターがない限り、アライバルビザがないということです。
どのビザが必要かを決めるのは重要で、手数料は東南アジアの中で最も高くなっています。アライバルビザの手数料はシングルエントリーでは1人45米ドル、マルチエントリーは1人65米ドルから95米ドルです。これは現金で支払い、アライバルビザカウンターで米ドルまたはドンで支払い可能です。このビザは旅行代理店が出したインビテーションレターを持っている場合のみ取得可能です。インビテーションレターは20ドルくらいで取得できます。

フィリピン

空路で入国した場合は、無料のビザを取得できます。最長で30日間有効で、多くの国籍の人が申請できます。フィリピンと良好な外交関係がある国の外国人は、ビザなしで歓迎されます。以前は旅行者は21日間のビザしか取得できませんでしたが、2013年以降は30日に延長されました。

なぜ東南アジアで働くのでしょうか。

自分のキャリアの中で最善の決断をしたのは、PageUpの海外でのポジションを12ヶ月前に引き受けたことです。ーいいえ、これはシンガポールに限ったことではなく、マレーシア、タイ、インドネシア、ベトナム、フィリピン、香港(明らかに東南アジアです)でも働いてきました。以下、なぜかを説明します。
・技術の挑戦に終わりがないこと
・アジアの世紀がブームで、技術企業家が乗り出している
・文化や背景によるビジネスの問題を解決することはやりがいがある

技術の挑戦

技術というのは、シンプルで可動性があり魅力がなければいけません。そして私たちはどこよりもシンプルさを追求しています。会社展望から消費者向けのアプリへの変革は流行になっています。デロイトによるエンタープライズ・アプリケーションの消費化についての議論はとても興味深く、フォーブズのポイントは「上場している企業ソフトウェア会社は十分にデザインに投資しておらず、スタートアップは警報レベルでインターフェースを改善しています。」
多くの企業がシステムがなかったために過去20年、事業技術に対処する必要がありませんでした。アプリケーションのベンチマークはしばしば顧客ベースで、多くの企業ソフトウェア・スタックで利用できる下位平均の経験を受け入れていません。(幸運なことに、私たちは多くの面で時代の先端を行っています。
シンプルに、便利で魅力があるというシステムを構築することは、企業技術において、こういうことなのです。

アジアの世紀

シンガポールで創設された動画ストリーミングサイトのようなウェブサイトは2億ドル産業となり、シンガポールは東南アジアのシリコンバレーと化しました。また、社会に影響を与えるソフトウェアを作り出すBagosphereやOne Cent Movementのような著しい会社もあり、地域中の不平等な形勢を一変させようとしています。
企業が勢いに乗っているのはソフトウェア業界だけではなく、Pirate3Dによるキックスケーターのキャンペーンが3D印刷において100万ドルを稼ぎ出すようになっています。
アジアで進んでいる技術革命はいつも私をワクワクさせてくれます。

文化的経験

シンガポール人、オーストラリア人、日本人、インド人、マレー人の会議は、あなたが思っている会議の概念を覆すでしょう。文化のメルティングポットでの遊びごごろのある働き方、日々接する様々な国の人々はあなたのコミュニケーション能力、影響力、交渉スキルを磨くのに適しています。もちろん、ホフステッドの文化の違いについてや世界中のコミュニケーションパターンなどのツールを見た時には、挑戦に感じるでしょう。
私は15年近く家族と離れて暮らしてきて、シンガポールが地元のようになり、これは世界の労働力のトレンドでもあると言えます。楽観的かもしれませんが、過去20年の世界の移民の傾向がそれを示しているのです。
私は文化について学ぶことが好きで、地域を旅するようになりました。列車に乗れば、それは新しい旅の始まりなのです。結局食事にたどり着くのですが、海外任務が長いか短いかは関係なく、食事をおろそかにせず、全てを試して見てください。そしてそれをいろんな人と共有することで、人とのつながりや関係を構築することに役立ててください。

東南アジアで訪れるべき国

東南アジア。そこはレオナルド・ディカプリオが映画「ザ・ビーチ」で分別をなくし、ベン・スティラーは映画「トロピック・サンダー」でランボーになったかと思えば、あなたのいとこがフルムーンパーティーで火の輪に飛び込み顔を大火傷するような場所なのです。ネオンのペイントはまだ彼の左の眉を焦がしています。
幸運なことに、私は旅行ライターとして多くの時間を東南アジアで過ごすことができました。1ヶ月間やそれ以上をそれぞれの国で費やしてきました。その経験から、今こそこのランキングを執筆するべきだと思ったのです。この記事は食べ物や飲み物などを基本にどの国を訪れるべきかをランキング化したものです。

マレーシア

行くべき場所:ボルネオ島(オラウータンがいるため)
おすすめの食べ物:食べ物の代わりに飲み物を挙げてもいいですか?冷たいチョコレートモルトドリンク「ミロダイナソー」をおすすめします。二言で言うと、チョコレートの無駄遣いです。
やるべきこと:どこでもできるので、スキューバダイビングは体験するべきです。マレーシアの海中の世界は東南アジアでもベストだと言えます。
マレーシアはとても美しく、人々はとてもフレンドリーです。さらに、食事も最高です。しかし、地域のビールはなく、自尊心のある東南アジアの国です。代わりに、高いカールスバーグをみつけるでしょう。実際、誰がカールスバーグなんて好きなんでしょう?答えは、「誰も」です。

シンガポール

行くべき場所:うーん…シンガポール?
おすすめの食べ物:キャロットケーキはシンガポールの看板メニューです。(キャロットケーキの中に人参が全く入ってないことに気づいた時には、ぜひ私にリアクションを見せてください。)
やるべきこと:スーパーツリーの電飾を見に行ってみてください。
たくさんの現金があれば、シンガポールは素晴らしい場所です。もしそうでなければ、ホーカーセンターで食事をし、1杯20ドルもするマルティーニをマリーナベイサンズで楽しんだと思い込んでみましょう。涙でマルティーニがしょっぱくなりませんように。

フィリピン

行くべき場所:パラワン島は潟と崖の青い夢のようです。
おすすめの食べ物:ポークアドボはニンニク、酢、醤油と肉で作られています。タイ料理の発明とまでは言えませんが、それでも満足できるでしょう。
やるべきこと:ボラカイ島で人魚姫のような格好をしてみましょう。
食事が発展し、バスのベンチはとても広いです。そしてちゃんと機能するATMもあります。

ベトナム

行くべき場所:フォンニャ・ケバン
おすすめの食べ物:ブンチャー(グリルした脂たっぷりの豚肉と春巻きが乗ったピリッとした魚のソースのバーミチェリ麺です。)肉、脂、酢の3拍子が融合した食べ物です。
やるべきこと:バイクで街中をうろうろすると、必ず事故に遭いそうになるはずです。きっと旅の途中でバイクを売ってしまうことでしょう。
ベトナムは美味しい食事だけではなく、その細長い独特な地形から生まれた様々な文化が魅力的です。露店が好きな人、ホイアンで作られる服が欲しいファッション好きな人、歴史通な人にとっては完璧な国でしょう。ただしひったくりには気をつけましょう。

インドネシア

行くべき場所:ギリ・トラワンガン
おすすめの食べ物:テンペ(大豆を発酵させたケーキ)とカシューナッツ。ゼラチン状の豆腐のようなものです。
やるべきこと:サーフィンを習う、または火山を登る
この群島は広大で、オラーウータン、マンタ、トレッキング、寺院、セクシーなオーストラリア人女性全てをインドネシアで見つけることができます。そして、とても安いのです。

タイ

行くべき場所:パーイ(ヒッピーの聖地と言われている滝があり、飛び込むことができます。)
おすすめの食べ物:全てです。本当に、全部食べて欲しいのです。
やるべきこと:ヒッピーパンツとチャン・タンクトップを買うことを検討しましょう。
もしフルムーンパーティーを目当てに来て、あなたが18歳以上ならば、タイはタトゥーを入れるには完璧な場所であると言えます。(後々後悔すると思いますが。)食べ物はスパイシーで美味しいです。大体1ドル未満です。何の懸念もありません。

東南アジアの労働移民を管理する

国境を超えた人々の動きは、移民を乗せた重量超過の船が沈むなど、しばしば悲劇として世界的に問題になっています。世界中の移民の数は過去25年で2倍になっており、2005年には2億人に達しました。移民の半分は労働者なのです。
今日、もし世界の移民が「移民国」という1つの場所に集められたとすると、中国、インド、アメリカ、インドネシアに次いで世界で5番目に大きい国になり、ブラジル、ロシア、パキスタンよりも大きな国になると言われています。
国連が定義する移民は、理由や法的立場に関係なく、出生あるいは市民権のある国の外に12ヶ月以上いる人としています。
フィリピンとインドネシアからの移民はマレーシアやシンガポールに向かい、ビルマ人、カンボジア人、ラオス人はタイへ、タイ人とベトナム人は台湾へ移動します。
未だに多くの人々が国際移民になりたいと思っています。その動機は、人的、経済的な格差や通信の革命、交通機関が発展し国境を超えやすくなったことなどです。これらの格差は簡単には解消できず、政府は渋々彼らの国際化への進出を制限しています。移民を管理するための政策として残されたオプションは、移民の権利を調節することです。
私たちは代わりになる管理のオプションを必要としています。
多くの国は移民対策をしていません。慣性と政府の規制と国境警備が移民管理の主な方法とされています。移民を受け入れている5つの主要な国はアメリカ(年間100万人)、カナダ(250,000人)、オーストラリア(100,000人)、イスラエル(50,000人)、ニュージーランド(35,000人)で、年間140万人の移民を受け入れています。

性、お金と移住者

人々は移民が多すぎるのか少なすぎるのかを議論しますが、移民は違いへの応答なのです。性やお金の格差は上昇し、コミュニケーション、交通、権利革命は続き、移住は簡単になり移民は増加すると見られています。これらのポイントを考慮しましょう。
・ムラのある人口増加。1800年、世界の人口10億人のうちの20%がヨーロッパ、8%がアフリカにいました。これはアフリカの人口がヨーロッパの人口の3分の1であることを意味しています。しかし、2005年までにアフリカの人口はヨーロッパの人口よりも多くなっており、それぞれ9億500万人と7億3000万人となっています。この傾向が続けば、2050年までにヨーロッパの人口は、世界の人口90億人に対して6億6000万人になり、アフリカの人口は20億人に増えるなるでしょう。アフリカは移民に対応できるのでしょうか。
・経済格差の拡大。2004年、世界のGDPは40兆ドルで、一人あたりの平均は6,300ドルでした。しかし、25の高収入の国(9億人)の一人あたりの平均GDPは32,000ドルでした。これは平均GDPが1,500ドルである165の貧困国の21倍であるとされています。これだけの差がある国に人々は移住するのでしょうか。
・コミュニケーション手段、交通機関、権利の革命は国境を越える移民を生み、外国に滞在することを容易にしています。裕福な国は政府の方針に合わせて移民の管理に乗り出すでしょう。市民権のない人たちの権利はどうでしょうか。亡命の制限が1つの例です。

東南アジアの挑戦

アジアは世界の人口の60%がおり、その多くは中国、インド、インドネシアの3国にいます。東南アジアの5億6,000万人はラテンアメリカの人口と同じくらいです。
歴史的に、移民は機会を求めて東南アジアを去りました。フィリピン人は定住するためにアメリカやカナダへ移動し、中東では石油の輸出に関わるために一時的にメイドや労働者として働き、香港、マレーシアや他の東南アジアの国では似たような仕事に就きました。東南アジアで最も裕福な国であるシンガポールは移民の数がとても多く、労働者の3分の1は外国人です。シンガポール政府は専門家の流入を歓迎していますが、技術のない移民やお手伝いさんを制限するために毎月税金を課しています。
マレーシアは1,000万人の労働力のうち200万人が移民で、インドネシア人が建設業や農業に従事しています。政府はシンガポールのような課税システムを導入していますが、違法労働を防ぐのは難しく、周期的に数万人のインドネシア人が摘発されています。
タイは東南アジアで3番目に多く移民を受け入れていて、200万人のビルマ人、カンボジア人、ラオス人労働者がいます。これまでに移民管理のための長期的な政策を発展させようとしてきました。雇用主が月給と同じくらいの登録料を支払えば、合法的に移民を雇うことができますが、施行にはムラがあり、合法的な雇用に結びつかない場合もあります。
実際には、労働移民はスイッチを入れたり消したりできるようなものではありません。タイの政府のように国の経済が移民によって支えられていると認識している場合はこの先もそれに固執していくことになると思います。移民のための社会経済の正当化を発展させるべきで、雇用主や組合と協働して移民の管理や移民保護に乗り出す必要があります。
この記事は2006年3月24日にバンコクの国際労働機関で行われた講義を基にしたものです。マーティン教授は21世紀の労働移民の管理(イエール大学プレス、2006年2月)という新たな本を、ILOの国際移民プログラムの前ディレクターであるManolo AbellaとILO国際労働科学研究所のChristiane Kuptschと共著で出版しています。また、彼はMigration Newsの編集者でもあります。

東南アジアのデジタルシーンで働いて学んだ6つのこと

私はブログで記事を書き、とてもいい反応を得ることができました。1年経って、私の意見では多くは変わっていません。これらの観察は電子取引の仕事と私が携わったプロジェクトがベースになっていますが、操業を開始する場合にも簡単に当てはめることができると思います。

電子取引をベースとした観察

私はコンサルタントで、オンラインファッションショッピングのアグリゲーターの共同創設者です。この地域で6年以上仕事をして生活しており、その経験から以下のことがわかりました。

1. 企業は市場のポテンシャルを評価する時に、大きな数字に目を向けがちです。

5億人、90%が携帯電話を持っていて、若い人たちがオンライン上で…というようなワクワクするような数字を耳にしたことがあると思います。
私は、実際のところは全然違うと思っています。例えば、人口の多くのパーセンテージは十分な収入がありません。例えば、東南アジアの人々はオンラインにお金をかけません。(インドネシア人は年に平均で2ドル以下しか使いません。)このように、あなたの5億人の市場というのは実際には10分の1以下で、7つの国に広がっているのです。
確かに中堅層は拡大していますし、電子取引もブームになるでしょうが、現実を見てみましょう。それはとても時間がかかることで、簡単に見返りを得ることはできないのです。
確かな機会というのは存在しますが、市場の規模とポテンシャルについてはもう少し現実的になるべきです。電子取引が未だに0.3%以下であることには理由があるのです。

2. 企業はリスクを回避したがります。

第一に市場、スピンオフ、ランドグラブ…これらは企業文化の一部ではありません。ロケットインターネットのような速いプレーヤーが外国籍であることも頷けます。始める機会は多くありますが、あまり楽観的になりすぎないようにしましょう。
そのうち、膨大なリスクと戦わなければならなくなるでしょう。世界の統計では上向きになっているにも関わらず、時間がかかりそうです。十分にスマートで、機敏で、ロングランに耐えられるように準備しておかなければなりません。
多くの場合、あなたの最初のビジネスプランは楽観的すぎることがあります。長い道のりですが、どれだけ一生懸命取り組み、納得するかが重要です。これはアジアや東南アジアの生活の真実です。

3. 人々は読むことをしません。

誤解しないでください、東南アジアの人が文字を読めないというわけではありません。しかし、西洋とは異なる方法で内容を理解するのです。
例えば、人々は飛行機、電車、コーヒーショップでビデオを見たりゲームをしたり、写真をシェアしたり撮ったりしています。人々が本や雑誌を読んでいるところを見ることは滅多にないでしょう。そういった背景から、ウェブ上でも多くを読むことはなく、それがこの地域では普通なのでしょう。
優秀なコピーライターを雇うことは重要で、プロのカメラマンやデザイナーを雇うことでInstagramやFacebookなどの投稿内容を充実させましょう。

4. 分析をしている企業は少ないようです。

私の経験上、Googleアナリティクスを使っている企業は少なく、多くの企業が「ファン」や「いいね」などに注目しています。実際にどのような効果があったのかを評価せずにオンラインやオフラインのキャンペーンを展開しているように感じます。
これは、カナダで7~8年前に行われていたことによく似ていて、未だに多くのケースで目にすることがあります。どうか私にSEOの話をさせないでください。
分析をして実行に移すいい機会です。そうすることで多くの人をすぐに取り込むことができるでしょう。

5. ローカルリファレンスは…違いがあり、あなたの戦略上でオフラインを過小評価はいけません。

西洋人として、私たちには、推薦状は世界のどこでも通用するという悪い傾向があります。これはある意味では事実ですが、大体の場合は適用されません。
東南アジア、日本、中国、韓国はAmazonやGapではなく、ファッション、音楽、ウェブサイト、Eコマースなどの重要なドライバーとなっています。この文化的な違いはインパクトがあります。
例えば、可愛いもの、明るい色、雨降りの中でのロマンチックなキスには流行があります。オフラインの面で注目すると、人々は買い物をしにモールへ行くことが大好きです。これは消費者、販売促進用売店、そして遍在する短いスカートで粗品を渡す若い女の子が相互作用する重要な環境です。
最後に、地域のセレブが売上に重大な影響をあたえるという点も違いであると私は思います。
明らかに、地方やオフラインの環境を過小評価してはいけません。モールでブースを設置し、イベントのために有名人を雇うなどしましょう。

6. 管理職の能力に限界があります。

私たちは常に、地域の有能な人材を発掘することの難しさを実感しています。しかし、これはフルストーリーではありません。地域の人材を見つけることが難しいのではなく、本当の挑戦は、地域の管理職を見つけることなのです。多くの素晴らしいデベロッパー、デザイナー、マーケッターなどがいますが、管理能力がある人は少ないのです。
デジタルエコシステムが重要な役割を担っていることは明白で、地域で10年間以上働いている人を見つけるのはとても困難ですが、これは企業が心に留めておかなければならない事実なのです。
これは、給料などのコストが高いことと労働許可証やビザなどの煩雑な手続きを意味します。どうしても手こずりますが、とても重要な要素なのです。
まず移住者を雇う準備をしましょう。つまり、西洋人だけではなく、韓国人、インド人、ロシア人などの東南アジア以外の人を雇うということです。または、東南アジアの人で十分に訓練されていてステップアップのために国に帰りたいという人もいいでしょう。

最後に
東南アジアは素晴らしいマーケットですが、困難もあります。どう思いますか?コメント欄で自由に討論してみてください。

あなたのキャリアを東南アジアで築くことをおすすめする10の理由

学校を卒業して新たなステージを探している場合、あなたは自分の市、州、もしかしたら国中を探しているかもしれません。しかし、ひょっとしたらもっと大きな夢を抱いているのではないでしょうか。海外でキャリアをスタートさせるというのも一つです。
これはNexTalentの創設者であるAntonie Tirard氏とCulture Pearlの創設者であるClaire Lyell氏が最近のINSEAD Knowledgeに投稿したメッセージです。以前の記事でも紹介したことがありますが、国際的な経験は、職歴のある専門家たちの技術を高めることにもなりますが、Tirard氏とLyell氏によると、キャリアを始めるために海外へ向かうというのも素晴らしいことであるというのです。
この結論は、彼らの経験からだけではなく、今まで公にはしてこなかったキャリアの早い段階から海外で過ごしてきた人たちへのインタビューもベースになっています。新しい文化に身を置くことは、いいことばかりではないということがインタビューで明らかになりました。
例えば、ガブリエルさんの場合、「ウーハン(中国)で仕事をするという変化は、不安定なものでした。彼は習得したと思っていた言語でコミュニケーションをとることができず、とても落ち込んだのです。」しかし、最終的に母国へ戻った時には、国際的な経験を買われ、良いポジションにつくことができたのです。
これは珍しいことではなく、Tirard氏とLyell氏はむしろ勧めています。なぜなら、慣れない海外で生活することで、以下の10の技術を磨くことができ、それは被雇用者にとって高い価値があるからです。
1. 機敏さ(知的、文化的、社会的、感情的に)
2. 曖昧さの快適性
3. 自信
4. 文化的な感性
5. 好奇心と社交性
6. グローバル志向
7. 独立独行
8. 回復力
9. 自己認識
10. リスクを冒す意欲
早くからの国際的な経験は、これらの重要な技術をあなたに身につけさせるだけではなく、2人の筆者は経験がより面白いキャリア形成につながっていると話します。要するに、国際的な冒険は、中毒性があるように見えるのです。(私はこれは間違い無いと思っています。)
「私たちは、若者がもっと旅、違い、リスク、挑戦にさらされることで、若者が仕事においてさらなる冒険をしようとするということを理解しています。」と彼らは記事の中で記しています。
これはあなたにとって正しい道かもしれません。さあ海外でのステージを探してみましょう。幸運なことに、豊富なガイドや情報があふれています。そしてもちろん、英語を海外で教えるということは未だに人気があります。(もしあなたがイギリスに興味があるなら、私は卒業者のためのワークプログラムをおすすめします。似たようなプログラムはオーストラリアとニュージーランドにもあります。)

イスラム教の東南アジアへの到達

イスラム教の東南アジアへの到達
イスラム教の教えは13世紀ごろから東南アジアに広まり始めました。イスラム教は唯一神アッラーを神とし、神は預言者ムハンマド(570-632年)を通じてメッセージを伝えました。イスラム教の基本的な教えはコーランに載っていて、ムハンマドを通したアッラーの意志表示はハディースと呼ばれるムハンマドの言行録にも載っています。イスラム教にはいくつかの特定の要求があります。それは「五行」として知られていてます。

1. 信仰告白「アッラーの他に神はなく、ムハンマドは彼の預言者である」
2. 1日5回(夜明け、昼、午後、日没後、宵)の礼拝
3. ラマダン月(太陰暦の9番目の月)の日の出から日没まで断食をする
4. 一生のうち最低1回はメッカ(サウジアラビア)への巡礼をする(ハッジ)
5. 収入の4分の1をアルムとして支払う(さらに寄付することも可)

イスラム教には司祭はいませんが、ウラマーと呼ばれる知識人がいて、過去の書物などのイスラム教の教えを訳したり、大多数のスンニ派の伝統である4つの学校で教えたりします。イスラム教全体の85%を占めるスンニ派のイスラム教徒は最初の4つのカリフのリーダ的存在であると認識されていて、どの宗教や政治団体にも帰しません。
預言者の死後も、イスラム教は拡大し続けました。8世紀から15世紀はその勢力の頂点で、北アフリカ、シチリア島、エジプト、シリア、トルコ、西アラブ、南スペインを含むイスラム帝国が存在しました。10世紀からはイスラム教は征服と転換によってインドにもたらされました。そして16世紀にムガル帝国が設立された時にその優位な政治的位置が認められたのです。
イスラム教が東南アジアにもたらされた正確な年代は分かっていません。少なくとも10世紀から、イスラム教徒は東南アジアでの外国人取引や、少数派ではありますが、個人的に中東へ留学した東南アジアの人々の間で増えていきました。この転換期のはじめの頃、イエメン、スワヒリ海岸、マラバール海岸、ベンガル湾の航路も影響力がありました。それと同時に、中国と
インドのイスラム教徒の繋がりも増えていきました。中国西部から来たイスラム教徒の貿易商は中国海岸の海沿いの街に定住し、中国人イスラム教徒はベトナム中部やボルネオ、フィリピン南部、ジャワの海岸のコミュニティーで重要な役割を果たしました。インドの様々な地域(ベンガル、グジャラート州、マラバーなど)から東南アジアへ入ったイスラム教の貿易商は多く、イスラム教の考えを広めるために自動車を提供しました。
数多くの起源の結果、東南アジアにたどり着いたイスラム教はとても多岐に渡ります。一般的なパターンは、支配者やボスによってイスラム教が広まった例です。時には貿易商を惹きつけたため、またはエジプトのマムルーク、トルコのオットマン、インドのムガルなど、もしくはイスラム教の教えの魅力によるものです。イスラムの神秘主義(スーフィズム)は、知識者の瞑想や催眠状態などの技術を使ってアッラーと直接コンタクトを取ることを目標にしており、とても需要がありました。

最初のイスラム教コミュニティについての確実な記載は旅行者として有名なマルコ・ポーロが1292年にスマトラ島北部に立ち寄った時のものです。イスラム暦の碑文や墓石は別の貿易ルート上の海岸にあります。主要な発展はマレー半島の西海岸のメラカの支配者の決定であり、1430年ごろにイスラム教を適合させています。メラカは主要な貿易拠点で、マレー半島とスマ
トラ島東部で話されていたマレー語は、マレー・インドネシア諸島の貿易港で共通語として使われていました。マレー語はそこまで難しい言語ではなく、貿易に関わる多くの人がすでに理解していました。したがってイスラム教の知識者はそのコンセプトを口頭でも書面でも伝えることができる共通語を手にしていたのです。改定されたアラビア文字はマレー文字に取って代わったのです。精神的な信条、社会、政治において、アラビア語はマレー語に取り込まれていったのです。

時を超えた変化
イスラム教の成功は、「ローカリゼーション」という名のプロセスによるもので、イスラム教の教えはしばしば態度と慣習の衝突を避けてきました。地域の英雄はイスラム教の聖人となり、彼らの墓は崇拝される場所となりました。神秘主義のイスラム教の見地は、ジャワ島で目立つイスラム教前の信条と似ています。闘鶏やギャンブルといった文化は続いていて、多神教を認めないイスラム教にも関わらず、キリストの贖罪は広く知られています。女性は顔を隠すことなく、多妻制も制限されています。イスラム教をベースとした法律は、一般に地域の慣習に合わせて作られます。
イスラム教が紹介した変化は、人々の生活には明白でした。豚肉はイスラム教徒にとって禁忌ですが、インドネシア東部やフィリピン西部では長い間儀式に用いる食材であったことから、重要な展開となりました。イスラム教徒はよくその服装で見分けられ、女性は胸を覆うような服装をしています。男性の割礼は重要な通過儀礼となりました。都会にいるイスラム教徒は教育の機会を手にし、コーランを基にした学校は宗教の象徴として注目されています。
ワハービ派と呼ばれるグループがメッカを占拠した19世紀初頭に改革的傾向は強さを得ました。ワハービ派は、イスラム法をより色濃く反映させることが目的でした。彼らの主張は東南アジアでは規制されていたにも関わらず、ワハービ派に惹きつけられた人々もいました。イスラム教義を遵守することで、ヨーロッパの勢力が成長することを防げるのではないかという感情があったのです。特にインドネシアにおいて、イスラム教のリーダーは反植民地運動に力を入れていました。しかし、エジプトで発展した現代主義的なイスラム教の考えは、東南アジアにも影響を与え、西洋の挑戦に対抗するためにイスラム教を改善させるべきだと考える人が増えました。このような気持ちを持ったイスラム教徒は田舎のコミュニティーや昔からのイスラム教の慣習に固執する「伝統主義者」にイライラしていました。ヨーロッパ人はついにタイを除くすべての東南アジアを植民地化しました。マレーシア、ビルマ、シンガポール、ボルネオ島西部はイギリス領、インドネシア諸島はオランダ領、ラオス、カンボジア、ベトナムはフランスの植民地となりました。東ティモールはポルトガル領、そしてスペインがフィリピンを植民地化し、のちにアメリカ領となりました。
第二次世界大戦後、これらの国が独立すると、政治的活動をしているイスラム教徒に対して、イスラム教と国との関係性についてどうするべきかという疑問があがりました。イスラム教が少数派であるタイやフィリピンでは、この関係性は緊張を引き起こします。マレーシアではイスラム教徒は人口の55%で、非イスラム教徒である中国人との調整が入ることは間違いありま
せん。インドネシアでは、イスラム教徒は信仰をどう守るかは議論が続いており、イスラム教が政府で重大な役割をしているのです。

東南アジアについて紹介します。

東南アジアは11の国からなっており、東インドから中国までを指します。そして、「本土」と「島」に分けられます。本土(ビルマ、タイ、ラオス、カンボジア、ベトナム)はアジア大陸の延長上にあります。本土全域でイスラム教徒を見ることができますが、多くはタイ南部とビルマ西部(アラカン)にいます。ベトナム中部とカンボジアのチャム族もイスラム教徒です。
島や東南アジアの沿岸にはマレーシア、シンガポール、インドネシア、フィリピン、ブルネイ、そして新しい国東ティモール(以前はインドネシアの一部)があります。マレーシアとブルネイの国教はイスラム教です。インドネシアの人口234,000,000人の85%を超える人々がイスラム教徒であり、この数字は世界中の国を見ても大きいにも関わらず、インドネシアの国教はイスラム教ではありません。シンガポールとフィリピンの南部では、イスラム教徒は少数派です。

地理、環境、文化
ほとんどの東南アジアの国々は熱帯に属しているので、地域を通して気候、植物や動物には類似点があります。気温は暖かいですが、一部の高地は涼しいです。多くの海とジャングルが創り出す世界は地域特有のもので、近代では多くの国際貿易業者を惹きつけてきました。例えば、インドネシア東部のいくつかの小さな島は、かつて世界で唯一のクローブ、ナツメグ、メースの生産地でした。地域全体がモンスーンの影響を受けます。これは北西から風が吹き、南東へ吹き返すようになっています。この風によって、地域外の貿易業者がこの地域へ来ては去っていくというインターバルが出来上がったのです。この頼もしい風のパターンのおかげで、東南アジアはインドと中国の貿易の中間地点となりました。
物理的環境は本土と島で違いがあります。本土の地理の1番の特徴は、中国から流れ、インドの北西部を分断する長い川が流れていることです。2番目に、低地が樹木で覆われた丘や山で分断されていることです。この沃野は米を育てるのに適しており、タイ人、ビルマ人、ベトナム人が国を発展させる上で重要な産業となりました。高地は部族によって占拠されていて、独特な服、宝石、髪型でアイデンティティーを表現しています。本土の3番目の特徴は長い海岸線です。強い農地があったにも関わらず、この地域ではインドや中国に向けた海の貿易産業も発展してきました。
東南アジアの島は大きいもの(ボルネオ島、スマトラ島、ジャワ島、ルソン島など)から小さいもの(インドネシアには17,000の島があると言われてます。)まで様々です。これらの島の内部がジャングルや高地であるため、旅をするのは簡単ではありません。東南アジアの人々は違う地域へ移動するのにボートが便利であると気づき、土地は分かれているものの海で繋がっ
ているとしばしば言われます。海岸で繋がっている地域や近い島は、似たような言語を使い、宗教も文化も同じことが多いです。例えば、マレーシアとインドネシアのように現在の国境は植民地支配によって作られていて、理論的な文化の違いによるものではないのです。
島の2つ目の特徴は、海自体にあります。いくつかの深い海とは違い、浅い海が多いです。それは海が暖かく、そこまで塩辛くないということを示しています。この環境は魚、サンゴ、のりなどの製品には理想的です。いくつかの地域では荒い海もありますが、フィリピンを除く地域全体としてはハリケーンや台風の影響を受けることはありません。しかし、活火山が多く、島は地震の影響を受けやすくなっています。

ライフスタイル、暮らし、生計
東南アジアの特徴は文化の多様性にあります。現在世界では6,000の言語が話されているといいますが、そのうち1,000は東南アジアで発見されていると考えられています。考古学的には、東南アジアには100万年前から人々の暮らしがあったと言われていますが、地域への移住も長い歴史があるようです。昔中国南部の部族が長い川を伝って本土内部に移住してきました。言語学上では、本土は3つの主要なグループに分けられ、南アジア語族(カンボジア人やベトナム人)、タイ語族(タイ人やラオス人)、チベットビルマ語族(ビルマ人や高地の言語を含む)となっています。これらの語族に分類される言語は、インド北東部、中国南西部でも見られます。
約4000年前、南島語族に分類される言語を話していた人々(中国南部や台湾を起源とする)が東南アジアの島へ移住してきました。フィリピンとマレー・インドネシアの群島では、この移住はオーストラリアやニューギニアに関係すると見られる先住民に吸収されていきました。現在東南アジアの島々で話されている言語の多くは南島語族に属しています。
東南アジアの注目すべき特徴は人々が様々な方法で地域の環境に順応してきた点です。現代以前の時代、多くの遊牧民が小さなボートで生活しており、彼らはオラン・ラウトまたは海の人々として知られていました。ジャングルの奥深くは、多くの小さなさすらいグループのホームとなっていて、内地の部族もいました。インドネシア東部にある、とある島では長い乾季があり、ヤシの実が主食となっていました。別の地域では、サゴが主食でした。ジャワ島や東南アジアの本土に定住していたコミュニティーでは、稲作が盛んでした。マングローブのため、海岸は農業には適していなかったので、漁業と貿易が主な職業となりました。人口の少なさ、世界の宗教の導入が遅れたこと、都会化の欠如などの多くの事実から、東南アジアの女性は、男性と平等に扱われることが多いです。
2000年前に2つの地域からきた文化的変化が東南アジアに影響を与え始めました。揚子江の南の中国人の拡大により、ベトナムの植民地化が進みました。中国の支配は1427年に終わりますが、儒教的性格はベトナムが独立するまで影響を与え続けました。仏教と道教も中国からベトナムへ持ち込まれました。その他の東南アジア本土とマレー・インドネシア諸島の西部では、ベンガル湾での貿易が盛んになり、それはインドの影響をより受けやすくなったことを意味しました。これらの影響は、ベトナム北部やカンボジア、タイ、ビルマ、ジャワ島、バリで定住していた人々が水稲を始めた時に最も顕著となりました。ヒンズー教や仏教を適合させたこれらの地域の支配者は、地域独自の文化と輸入した文化を融合させ、地域社会になじませていき
ました。
物理的環境の違いは東南アジアの政治機構にも影響を与えました。人々が遊牧民や半遊牧的生活をしていた頃、安定した官僚制を伴う政治機構や税制度を作り上げることは困難でした。このようなシステムは、本土やジャワ島で稲作に携わり、定住している人が多い地域でのみ発展してきました。しかし、権力を拡大するのは高地や島々では難しいということを有力者でもわかっていたのです。